涼香は全裸でコメ風呂に飛び込み、ジャグジーの水流に翻弄され、快感の波に耐えきれず意識を失った。
老婆の民家の布団で涼香は目覚める。「涼香ちゃん、大丈夫か?」 老婆の声に、涼香はぼんやりと目をこする。何があったか、うっすらと思い出す。「あ、私、お風呂で気絶して…」 彼女の頬が羞恥で赤らむ。「おばあちゃん、ごめんなさい。私、最近身体がおかしくて…うまく喧伝できなかったかも…」 老婆は穏やかに微笑み、布団をかけ直す。「いいんじゃよ。今はしばらく休みなはれ。」
彼女の羞恥と闘志は、コメントで「#コメバブル」がトレンド入りに輝くも、いつもの白いごはんを日本の食卓に戻す力にはならなかった。

農業団体の超高層ビルは、東京の超一等地で燦然と輝き、「これが適正価格!」と叫ぶ彼らの声は、庶民の耳に虚しく届いた。日本の米価格の上昇率は、他国と比較しても異常なレベルに達している。

米大臣の「米5キロ2000円」は人気を博しているが、彼も政府の人間だ。政府としては3000台を目標としている。
5kgで4,000円、5,000円を超える米価が、たとえ政府目標の3,500円程度に下がったとしても、実質賃金が何年も連続で低下し続けている日本で、庶民には「くそ高い」壁として立ちはだかる。
エンゲル係数は30%に跳ね上がり、先進国としてありえない食費の負担増が、消費者を絶望に追いやる。

米は、かつて日本の食卓、家庭、人生を彩る「当たり前」の存在だった。
映画やドラマで描かれる庶民の食卓――家族が笑顔で囲むごはん、おにぎりを握る祖母の手、祭りの夜に響く米の香り――それが、現代日本の政治的・経済的現実によって切り裂かれた。
投資で大失敗した農業団体の「赤字覚悟」を信じる者はなく、国産米信仰は崩れ去った。コメントでは「輸入米でいい」「もう米やめる」との声が溢れ、食パンや小麦、パスタが、食卓の新しい傾向となっていく。
消費者からの信頼は崩壊し、かつての当たり前だった白いごはんは、遠い記憶に変わりつつある。
涼香の生放送は、この切なさを映し出す鏡だった。彼女は国を救うためとコメ風呂で羞恥に耐え、負けまいと闘ったが、大騒動には抗えず、庶民の食卓からごはんが消えゆく。彼女の汗と涙は、コメントを沸かせただけで、家族の笑顔を支える米の魂を取り戻せなかった。
欲深き人々の業が、彼女の奮闘を無力化し、日本米の主食文化を切り裂いた。
日本米の魂は、闘争と冷たい現実で切り裂かれた。
海外か農業団体か? どちらにしても、茶碗一杯のごはんが、家族の笑顔を当たり前のように彩った時代は、もう戻らない。
安心感や日常感を演出してきたあの日本米の香りが、庶民の記憶から薄れていく。

令和の米騒動は続いている。しかし、涼香の米騒動はメスイキで結末を迎えた。



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