警察署の事務所は、蛍光灯の冷たい光とコーヒーの匂いで満たされていた。
机を囲んだ警官たちの間に緊張が漂う中、上司の警視・佐藤が重い口を開く。

「諸君、SNSを中心に騒ぎが広がっている。涼香という女性タレントの失踪だ。」
彼はSNSの投稿を説明する。
ハッシュタグ ”#涼香失踪” がトレンド入りし、コメントが溢れている。
「涼香、どこだよ!」
「完全に失踪したな」
「涼香のシャワーきぼんぬ」
佐藤は眉間に皺を寄せ、続ける。
「どうやら、涼香は田中という男が絡んだテレビ番組の後に姿を消したらしい。」
「現在、その田中はタレントオーディションを開催中だ。涼香の失踪と関連があるかもしれない。」
「直接探る必要があるが…何か案はないか?」
警官たちは顔を見合わせ、沈黙が流れる。
田中の名前は、芸能界の裏で暗躍する男として、警察内部では多少噂になっていた。
だが、証拠は乏しく、動きづらい。
その時、会議室の隅に座る若い女警官が手を挙げる。
「私がやります。」
彼女の声は静かだが、揺るぎない決意に満ちていた。

万由。ショートカットの髪と鋭い目が印象的な、正義のために警察官になった若手だ。
彼女は立ち上がり、胸を張る。
「私が田中のオーディションに潜入捜査してきます。涼香の失踪、絶対に見つけ出します。」
警視・佐藤が目を細め、彼女を見つめる。
「万由、君は普段、交通違反の取締りや遺失物対応だな。潜入捜査となると危険だぞ。」
万由は一瞬唇を噛むが、すぐに答える。
「その通りです、警視。でも…正直、スピード違反の切符切ったり、落とし物の傘を整理するだけじゃ、私の正義は満たされないんです。涼香さんが失踪した裏に、奴らの汚い企みがあるなら…私が暴きます!」
彼女の目は燃え、会議室に静かな衝撃が走る。
同僚の一人が囁く。
「万由、ガチだな…でも、あのオーディションって、最近の炎上騒動見てるとヤバいよ?」
別の警官が続ける。
「SNSじゃ『搾取の極み』って炎上してる。潜入したら、万由も危ないんじゃ…?」
万由は首を振る。
「危険でも、正義のためなら構いません。涼香さんを救うため、そして田中の闇を暴くため、私にやらせてください。」
佐藤はしばらく沈黙した後、ゆっくり頷く。
「…いいだろう。万由、お前が責任を持って判断したならば潜入を許可する。だが、慎重に動け。おそらく奴等は狡猾だろう。証拠を掴むまでは、一人で突っ走るな。」

万由は敬礼し、力強く答える。
「はい! 絶対に成果を上げます!」
会議室を出た万由は、署のロッカールームで準備を始める。

彼女は制服を脱ぎ、偽装用のカジュアルな服に着替え、心の中で呟く。
「涼香さん、待ってて。必ず見つけ出すから。」
彼女の手には、あのオーディションの応募フォームが握られている。
SNSの炎上投稿をスクロールしながら、彼女は最新オーディションの詳細をチェックする。

「フィクションだの同意だの、胡散臭い…。絶対に何か隠してる。」
SNSには、涼香の失踪を心配する声が溢れる。
「涼香、生きてるよね?」
「涼香まだ見つからないの?」
万由の胸に、正義の炎がさらに燃え上がる。
彼女は応募方法を確認し、潜入の第一歩を踏み出す。
————————–
一方
監禁病棟の涼香は湯気の立ちこめる脱衣所で、一枚ずつ服を脱いでいった。
日頃の辛いトレーニングは、背中に鈍い痛みを残す。
鏡に映った自分の姿が、どこか別人のように思えた。

以前は、裸になるたびに誰かの目があるような気がしていた。
実際、いつも誰かが見ていた。
カメラのレンズ、スタッフの視線、SNSのタイムライン。
その全てが、自分の身体を切り取っていった。

今、視線はない。だが、自分の目が残っていた。
腹筋のうっすらとした陰、拳の擦り傷、肩に残る筋肉痛。
――これは、私の体。誰のためでもない、私自身のもの。

ゆっくりと湯船に沈むと、ぬるい湯が肌を包んだ。
昔は濡れるたびに笑われ、晒された。けれど今は違う。
この湯は、恥じゃない。広告でもない。
――私を癒し、整えてくれるもの。
目を閉じて、涼香は静かに深呼吸した。
拳を軽く握り、湯の中で言葉にならない決意が胸に灯る。
私は、もうあの頃の“ただ晒されるだけの涼香”じゃない。



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