【涼香】54.潜入捜査官マユ 

小説

警察署の事務所は、蛍光灯の冷たい光とコーヒーの匂いで満たされていた。

机を囲んだ警官たちの間に緊張が漂う中、上司の警視・佐藤が重い口を開く。

「諸君、SNSを中心に騒ぎが広がっている。涼香という女性タレントの失踪だ。」

彼はSNSの投稿を説明する。

ハッシュタグ ”#涼香失踪” がトレンド入りし、コメントが溢れている。

「涼香、どこだよ!」

「完全に失踪したな」

「涼香のシャワーきぼんぬ」

佐藤は眉間に皺を寄せ、続ける。

「どうやら、涼香は田中という男が絡んだテレビ番組の後に姿を消したらしい。」

「現在、その田中はタレントオーディションを開催中だ。涼香の失踪と関連があるかもしれない。」

「直接探る必要があるが…何か案はないか?」

警官たちは顔を見合わせ、沈黙が流れる。

田中の名前は、芸能界の裏で暗躍する男として、警察内部では多少噂になっていた。

だが、証拠は乏しく、動きづらい。

その時、会議室の隅に座る若い女警官が手を挙げる。

「私がやります。」

彼女の声は静かだが、揺るぎない決意に満ちていた。

万由。ショートカットの髪と鋭い目が印象的な、正義のために警察官になった若手だ。

彼女は立ち上がり、胸を張る。

「私が田中のオーディションに潜入捜査してきます。涼香の失踪、絶対に見つけ出します。」

警視・佐藤が目を細め、彼女を見つめる。

「万由、君は普段、交通違反の取締りや遺失物対応だな。潜入捜査となると危険だぞ。」

万由は一瞬唇を噛むが、すぐに答える。

「その通りです、警視。でも…正直、スピード違反の切符切ったり、落とし物の傘を整理するだけじゃ、私の正義は満たされないんです。涼香さんが失踪した裏に、奴らの汚い企みがあるなら…私が暴きます!」

彼女の目は燃え、会議室に静かな衝撃が走る。

同僚の一人が囁く。

「万由、ガチだな…でも、あのオーディションって、最近の炎上騒動見てるとヤバいよ?」

別の警官が続ける。

「SNSじゃ『搾取の極み』って炎上してる。潜入したら、万由も危ないんじゃ…?」

万由は首を振る。

「危険でも、正義のためなら構いません。涼香さんを救うため、そして田中の闇を暴くため、私にやらせてください。」

佐藤はしばらく沈黙した後、ゆっくり頷く。

「…いいだろう。万由、お前が責任を持って判断したならば潜入を許可する。だが、慎重に動け。おそらく奴等は狡猾だろう。証拠を掴むまでは、一人で突っ走るな。」

万由は敬礼し、力強く答える。

「はい! 絶対に成果を上げます!」

会議室を出た万由は、署のロッカールームで準備を始める。

彼女は制服を脱ぎ、偽装用のカジュアルな服に着替え、心の中で呟く。

「涼香さん、待ってて。必ず見つけ出すから。」

彼女の手には、あのオーディションの応募フォームが握られている。

SNSの炎上投稿をスクロールしながら、彼女は最新オーディションの詳細をチェックする。

「フィクションだの同意だの、胡散臭い…。絶対に何か隠してる。」

SNSには、涼香の失踪を心配する声が溢れる。

「涼香、生きてるよね?」

「涼香まだ見つからないの?」

万由の胸に、正義の炎がさらに燃え上がる。

彼女は応募方法を確認し、潜入の第一歩を踏み出す。

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一方

監禁病棟の涼香は湯気の立ちこめる脱衣所で、一枚ずつ服を脱いでいった。

日頃の辛いトレーニングは、背中に鈍い痛みを残す。

鏡に映った自分の姿が、どこか別人のように思えた。

以前は、裸になるたびに誰かの目があるような気がしていた。

実際、いつも誰かが見ていた。

カメラのレンズ、スタッフの視線、SNSのタイムライン。

その全てが、自分の身体を切り取っていった。

今、視線はない。だが、自分の目が残っていた。

腹筋のうっすらとした陰、拳の擦り傷、肩に残る筋肉痛。

――これは、私の体。誰のためでもない、私自身のもの。

ゆっくりと湯船に沈むと、ぬるい湯が肌を包んだ。

昔は濡れるたびに笑われ、晒された。けれど今は違う。

この湯は、恥じゃない。広告でもない。

――私を癒し、整えてくれるもの。

目を閉じて、涼香は静かに深呼吸した。

拳を軽く握り、湯の中で言葉にならない決意が胸に灯る。

私は、もうあの頃の“ただ晒されるだけの涼香”じゃない。

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