
東京都心から二駅離れた地下三階。
ライブハウス「ノイズ・ガーデン」のステージに、アイドルグループ「シークレット・パレット」の三人が立っていた。
フロアを埋め尽くすには遠い、まばらな客席。
それでも、紫と青の照明が作るステージの上では、もも、るい、れいの三人が、汗だくになりながら最新曲の激しいダンスを踊り続けている。
彼女たちの表情には、この小さな場所から「地上」へ飛び出したいという、純粋なアイドルとしての情熱と成功への渇望が宿っていた。
「いくぞー、ラストスパート!」
ももの明るい声が響き、るいは一瞬のブレもなく完璧なターンを決め、れいは力強い視線をフロアの奥まで投げた。
彼女たちにとって、このライブこそがすべてだった。
チケットノルマやチェキの売り上げといった現実的な数字は運営の赤沢社長に任せ、今はただ、目の前のファンを熱狂させることに全力を注いでいる。
アンコールが終わり、特典会(チェキ会)の賑わいが残る地下の楽屋で、事務所社長の赤沢は一人、スマートフォンを握りしめていた。

ステージの熱気とは裏腹に、彼の顔は青ざめている。
「今月の赤字も、これで確定だな……」
彼の脳裏には、数千万に上る事務所の借入金と、月末に迫る銀行への返済期日がちらついていた。
メジャーな事務所と違い、赤沢のような弱小運営は、大きな後ろ盾を持たない。
彼らが収入を得る手段は、このライブのチケットとグッズ、そしてチェキの売り上げがほぼすべてだ。
テレビCMやドラマ出演といった「電波利権と関わる仕事」は、赤沢の事務所にはまるで回ってこない。
「大手は大手広告代理店と強固なパイプがある。うちには、地元のフリーペーパーの隅に載せてもらうのが精一杯だ。大したステマもできない。このままじゃ、終わる」
焦燥感に駆られた赤沢は、意を決してスマートフォンのアドレス帳を開いた。
彼が頼れるとしたら、この業界で「やり手」として名が知れている、とある人物しかいない。
「田中さん……どうか頼む」
赤沢は震える指で、田中という人物の電話番号をタップした。
彼は、この閉塞した現状を打開するための、藁にもすがる思いでいた。
「もしもし、田中さん。夜分遅くにすみません。赤沢です。実は、うちの『シークレット・パレット』のことでご相談したいことがありまして……」
地下の湿気と汗の匂い、そして借金のプレッシャーが充満する中、赤沢は、自分の未来と三人のアイドルの夢を懸けて、交渉の電話を始めた。
一方、隣の控え室からは、もも、るい、れいが、今日来てくれたファンについて、楽しそうに話す声が漏れ聞こえていた。彼女たちの笑顔と無垢な夢が、赤沢の胸を一層締め付けた。
電話の向こうで、田中が汚らしい声で応じる。
「お、赤沢君! 地下アイドルか、いいねえ! よし、わかった! 君のためを思って、特別に案件を回そう。」
彼の声に、赤沢の顔が一瞬明るくなる。
「丁度、マッサージチェーン店から、かわいい子に宣伝してほしいって案件があるんだ。君に贈るぜ!」
赤沢は安堵の息を漏らし、頭を下げる。
「ありがとうございます! 本当に…助かります!」
田中は電話を切り、モニター室の椅子にふんぞり返る。
「ケケケケケ! 若いアイドルに恥ずかしいマッサージを仕掛ける…これは外れるわけねえぜ!」
彼の目はギラつき、さらなる搾取の興奮に震える。
だが、彼は一瞬考える。
「さて、誰に任せるかな。たかしは毎回やらかすし、次郎には荷が重い。」
彼の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
「よし、あの男だ!」
田中はスマホを取り出し、かつて「伝説のAV監督・男優」と呼ばれた秋山の番号をタップする。
リンリン!
電話が鳴り、秋山の声が響く。

「ど~も~ 秋山でーす」
田中の笑い声がモニター室に反響する。
「おい、秋山監督! この2025年、新しい仕事だ。地下アイドルにマッサージ、派手にやってくれよ!」
秋山という男は何を仕掛けるのか
湯けむりの記憶が冷めやらぬ中、新たな闇が、地下のアイドルたちに忍び寄る。

薄暗い監禁病棟の天井。
白い蛍光灯の光がにじんで、視界の端が揺れていた。涼香はゆっくりとまぶたを開いた。
「……ここは……」
かすれた声が漏れると、すぐ傍で椅子を引く音がした。
「涼香!」

監護士が駆け寄り、その大きな手で彼女の手を握る。
涙ぐんだ瞳が、心底安堵した色に濡れていた。
「目ぇ覚ましたか……! お前、10日間も昏睡状態だったんだぞ!」
「……10日間……」
涼香は驚きに息を詰め、胸に鈍い痛みを覚えながらも頭を上げようとした。
「そうだ、私……いきなりBANされて……殺されるところだったんだ……」
震える唇でつぶやく。
「何だったの、あれは? “アニメ以外の女は全員殺す”とか……変なこと言ってた……。誰なの、あいつ?」
監護士は眉をひそめ、首を振った。
「突然のことだった。警備も追いつかなかったんだ……」
涼香は遠い目をしながら天井を見つめる。
「……その後、私は……歌手デビューしたの。夢だったのかな……」
「デビュー曲を歌ったら30000PVくらい来てくれて……その後に動画投稿も、一万とか二万五千とか……沢山観に来てもらって……。夢だったのかな……」

監護士は、しばし言葉を失い、それから静かに言った。
「……お前はずっとここで寝ていたんだ。」
「夢か……」
涼香の胸に、切なさと安堵が入り混じる。
それでも、その奥に強く残っていたのは――
「でも……やっぱり私、配信したいんだな」

彼女は小さく笑い、握られた手に力をこめた。
「こんな所、早く出たい……」
監禁病棟の冷たい空気の中、その言葉だけが確かに熱を帯びて響いた。


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